
無類の野菜愛で目指す、新しい農業のカタチ
- 取材
- 学校農園部活生(静岡聖光学院)
- 取材サポート
- 小森雄斗(静岡聖光学院・教員)
「僕が『農業』という言葉を口にするとき、みなさんが一般的に想像する『農業』とは定義が違うことをまず知ってほしいんです。」
インタビュー冒頭、質問を投げかけた学生たちを真っ直ぐに見つめて西辻一真は語りだした。曰く、一般的な「農業」とは「農産物を作って売る」こと。だが彼の「農業」は、土に触れ野菜を作り、その喜びを人と人とで分かちあう、農に携わる人々が連綿と紡いできた生活そのものを指す。そんな彼が設立した会社「マイファーム」は体験農園・学校運営・小売を通して、自分で作って自分で食べることのできる社会「自産自消」の実現を目指している。静岡聖光学院では、「キャキャロット」という学校農園で年間を通じて無農薬の農作物を育てている。今回の取材には、その活動に取り組む学生たちが参加した。農業のキーワードを通して先駆者が彼らに伝えたのは、農業だけに留まらない、未来の指針になる言葉だった。
INDEX
西辻一真(にしつじかずま)
株式会社マイファーム・代表取締役
1982年福井県生まれ、京都大学農学部資源生物科学科卒。一年間の社会人経験を経て、自分で作り自分で食べる「自産自消」の理念を掲げ、2007年株式会社マイファームを設立。体験農園、農業学校、流通販売、農家レストラン、農産物生産など、農業の多面性を活かした事業に取り組んでいる。また平成28年度・総務省「ふるさとづくり大賞」優秀賞受賞。全国で野菜づくりを楽しむ人を増やし、農産物を自然まるごと食すことの感動を伝えることで、人と自然が近しく、互いに育み合う未来の実現を目指す。
原点は「友達づくり」から始まった家庭菜園

- 西辻さんのご出身は福井県三国町ですね。いつころから、どのようにして農業に興味を持たれたのか教えてください。
-
まず今の質問に対して答える時に、大切な言葉の定義があって、「農業」という言葉の意味をちゃんと捉えてほしいんです。僕が「農業」という言葉を発するときには、一般的な農業の定義である「農産物を作って売ること」っていう範疇で話をしていない、とていう前提で考えてほしくて。土に触れ野菜を作りそれを人と人とで喜び合うことを「農業」って僕たちは呼んでます。
そういう意味で、いつから農業に興味を持ったかというと、僕は幼少期の頃からです。父はサラリーマン、母は専業主婦ですが、僕の生まれ故郷は農山漁村という、4,000世帯ほどのほとんどが漁師さんか農家さんで成り立っている場所でした。僕はサラリーマンの息子として、父が転勤してきたあとに産まれたんですけれども、「勤め人の子ども」っていう圧倒的な少数派だったんです。農家さんや漁師さんの子供同士という共通の遊びがあるわけではありませんでした。
それで僕は、みんなと共通言語をもって一緒に遊びたくて、社宅の裏庭で野菜作りを頑張ってしてました。なので僕にとっての原点っていうのは「幼少期の家庭菜園」で、それがいま僕らが提示している野菜作りや農業の原点にもなっています。
- 子どもの頃に友だちができるできないって重要な問題ですよね。子どもだった西辻さんが生きるために見つけた道が「家庭菜園」で、それが「農業=土に触れ、野菜をつくり、人と繋がること」への始まりだったのですね。
-
そうですね。友達と一緒に遊びたいという憧れですよね。そういう気持ちで始めた野菜作りだったけれど、すごく良いことに気づいたんです。野菜作りをしていて人に怒れられることってないんですよね。近所のおばちゃんとかに「あんた偉いねぇ」「頑張っとるねぇ」って褒められるわけです。日が暮れると何もできなくなるから家に帰るわけで、親は安心する。誰にも怒られない。それがすごく良いなあと。だから、やり始めたきっかけは「友達づくり」で、農業を好きになったきっかけは「褒めてもらえて怒られない」ですね。
そして、気づいたんです。育ててる野菜の前にずっと座って、動きを感じ取って、愛し、可愛がること。それが一番美味しい野菜ができる方法だと。例えば、目の前の大根と24時間向き合えば最高に美味しい野菜ができるはずです。愛情も100%ですから。そういうことが自分の一番のモチベーションになっていて、今に続いてます。
野菜大好き少年への「母親から宿題」

- 野菜作りのスタートは、ごく個人的な思いから始まっていますけど、いま西辻さんが取り組んでいらっしゃることは、対象にしている人も目標もすごく広がっていますよね。いまの目標ができた経緯や、気持ちの変化を教えてください。
-
僕、高校一年生の時まで家庭菜園をしていたんですけれど、その頃に通学路の脇に使っていない畑があるのを見つけちゃったんですよ。「もったいない!自分はこんなに小さい面積のところしか使えんのに、こんなでかいところを使わない人がいるのはどういうことなんや」と。それは強烈に思いました。
空き農地をみて心が震えた高校一年生の僕は、すごくシンプルに「あそこを自分で使いたい。農家になろう」と思ったんですね。で、素直にその思いを両親に言ったんです。そしたらね、親は「素晴らしい仕事に就くのね」と言ってくれたんですよ。担任の先生も「良いことじゃないか」と褒めてくれた。野菜作りも褒められたから好きになったって言いましたが、また褒められたんで、やっぱり「その仕事をやろう」と思ったんですよね。
ただ一つだけ、母親が僕にいい宿題をくれたんです。「なにを植えるつもりなの?」って聞いてくれたんですよ。そのとき「すごい作物をつくる」と答えたんですけれど、そのときの母親の問いかけをきっかけに、その時は漠然としていた「すごい作物」をつくるために、ノーベル賞が日本で一番出ている京都大学の農学部に行ったんですよね。
- 難関な京都大学への入学に加えて、さらにノーベル賞はとってもチャレンジングですね(笑)。でもすごく素敵な問いかけです!
-
僕の農家になりたいって夢に対して、親は宿題を与えてくれた。その宿題を解決するために大学に行って農学部で植物生育学とか、雑草学とか、そういった勉強をしてきたんですけど、大学4年生の時、大変なことになりまして。すごい作物を発明できなかったんですよ(笑)。AIDS発症を抑える効果がある大豆を作れたらそれはノーベル賞もんやなぁ、と思って研究してたんですけれども、他の医療や薬学の分野で研究されてる方のほうが、AIDSに対する特効薬を作れてきてるのがわかったので、これは僕ちょっと負けたわ、と挫折をしたんです。
すごい作物はつくれなかったけど大学卒業も迫ってきて、いよいよ僕は「農家になろう」と改めて決意したときに、人生のターニングポイントが訪れました。
いろんな人たちが手のひら返しをしだしたんです。みんな「やめておきなさい」っていうんですよ。それまでは親も先生もすごく喜んでくれてたのに、いざ本当に農家になろうと思ったら、大学時代にお付き合いのあった農家さんからは「大変やから止めときなさい」、大学の先生からは「難しいよ」、みんなこう…ネガティブなことしか言わない。よくわからなかったんで、実際に農家のお家行って「空いてるあそこの農地貸してください」って直談判したら「法律がなんとかだ」とか「お金もないのに」「ひょろひょろなのに」「インテリじゃん」と。こんなこと言われてですね(笑)。農地を借りることすらできなかったんですよ。農家になりたいのになれない現状を目の当たりにしたんです。

- その頃に、他にも同じような理由で農家になれない人がいるかも知れない、と思われたわけですね。
-
そう!そうなんですよ。世の中では農業する人が減ってきていて、農業始める人も少なく、国家的な危機なんだ!ってよく聞きますけど、僕の味わってきた現実は真逆ですよ!やらせてすらもらえない。なので僕がそれを解決することで、僕と同じ轍を踏む人をなくしたい、っていう思いも後々の自分のミッションになったんですが、まずは「就職どうしよう」でしたね。僕、農家になるつもりで、こんな反対されるなんて思ってなくて、就活してなかったんです…。
それで、農家として野菜に携われなくても「食に関わる仕事」をしたいと思い、卒業後は飲食店への営業を行う仕事に就きました。
その仕事をしてすぐにわかったのは、飲食店のバックヤードに行くとお肉や他の食材は銀の棚の上に置かれてるけど、お野菜はダンボールのまま床に直置き。飲食店の中を覗いてみると添えてある野菜の食べ残し。お野菜を作った人の気持ちを考えてお野菜を扱うとか食べるとか、そういうことって世の中減ってきてるんだな、ということでした。
生産と消費の両方をみてみると、農業をやりたいけどできないフィールドもあるけれど、お野菜を大事にしない社会もあった。僕はこれを解決するような仕事をしよう、農業したいと思った人が農業ができて、お野菜を大切に食べる人たちが増える「自産自消」できる社会をつくろう。これは僕がやるしかない。こう思ってマイファームという会社をつくりました。
起業直後の壁と、丸1年かかった農地探し

- 静岡聖光学院で将来や夢についてアンケートしたら「起業したい、社会を変えたい」という人がすごく多かったのでお聞きしたいのですが、起業から現在までは順調に進んだのでしょうか?
-
いやいや、全然順調じゃないですよ。例えばウチの一年目の売上って、160万円だったんですよ。160万円から種代とかね、地主さんに払うお金とか、いろんなものが引かれてくと自分の手元に残るお金がないんですよ。だから僕、一年目は起業しながら塾の講師して、夜はバーテンダーして、寝て朝仕事して。自分の収入はほぼバイト代で、そういう生活が2年続きました(笑)。すごく大変でしたよ。
- 全く想像できないです(笑)。起業当初から体験農園のマイファームをなさってたんですか?
-
いえ、最初は単純に野菜を作って、京都の飲食店に売ってました。でも野菜を売り始めてすぐ気づいたのは「売れば売るほど自分が食えなくなっていく」ということでした。とにかく効率が悪い。これはちゃんとビジネスとして成り立つようにしないと会社が持続可能にならいから、事業計画を作り直しました。よく考えて調べたら、畑に遊びに来たい人たちはいっぱいいる、僕は畑をやっている。ならば来てもらって僕が教えて収穫体験すれば、1本の人参を京都のお店に売りに行くよりも実入りがいいぞ、ということがわかったので正式にやり始めたんです。
- そこから体験農園が始まったのですね。さきほど、農地を借りるのがとても大変だというお話でしたが、最初の農地について教えてください。
-
最初の農地は京都の久御山というところでした。2007年4月に独立して2007年9月に会社をつくったのですが、初めて農地が手に入ったのは2008年4月です。活動して1年、起業して半年、農地を一つ探すだけだったんですよ。僕が大学生の時に農地を探したときのあのハードルは、起業してからの農地探しのときにも存在したんですね。大学生のときは「社会人じゃないからなぁ」とか思っていたけど、実際に社会人経験を経て農地を探してみても、やっぱり1年がかりでした。
- 使われていない農地はあるのに、なかなか貸し出して頂けないのはなぜなのでしょうか?
-
まずは法律です。農地を借りたいと思ったら「5,000平米以上」から(注:平米数は地域によって異なる)。ものすごい広さの面積からしか借りられないし、5,000平米をまとめて貸してくれる地主さんもほとんどいませんから。
2つ目の壁は価値観です。農家さんて耕作放棄地を恥ずかしい存在だと考えてるんですよ。「いや俺の力が及ばんくてできてないんだ」と。で、それを誰かにやってもらうってのは、恥の上塗りになっちゃうんですよね。自分の非力を認めてることになるんです。なので「貸すのはちょっと…」っていう人たちが多かった。いまは世代交代してその価値観も変わってきてますけど、13年前に保有者だった方たちはそう考える人が多かった。
3つ目は地域の人間関係です。農地って地域にとっての共有財産でもあるんですよね。例えば水を入れない田んぼがあったら、流れが下まで届かない。そういう共有財産を、万が一僕が荒らしたら、怒られるのは持ち主です。そういう場面を想定して嫌がられるのもありますね。
カフェから始まったご縁と信頼

- それらの課題がある中で、ひとつ目の農地はどのような経緯でお借りできたのでしょうか?
-
このひとつ目の農地開拓は、僕にとって大事な話なんです。京都のカフェで「いやぁ〜農地全然見つからんわぁ〜」ってうなだれてたんですね。そうしたらマスターのお知り合いに農協に勤めている方がいて、その方のご紹介で偶然にお借りすることができたんです。
カフェでのそのつぶやきからはじまりました(笑)。ちょっとドラマチックな話しをしておくと、その時の農協の方が今うちの副社長ですね。
- おお!本当にドラマのようですね。
-
だから僕、ご縁を大事にするというのは、すごく大事なポイントだと思ってます。
- 受け取った信頼に応えることが土台になり、その上に少しずつ少しずつ成り立ってきたってことですね。
-
その通りです。さっき1年目の売上が160万円って言いましたけども、僕が大事にしてたのは「絶対に荒らさない」ってことと「絶対に期待を裏切らない」ってこと、このプレッシャーのほうが生活が苦しいことよりも苦しかったです。でも、ここでひとつ、きちんと信頼を得るようなモデルを作って畑をきれいにすることが次に繋がるって信じてましたから。生活収入はなかったけれど何とかアルバイトで賄える、畑はプレッシャーかかるけど絶対に何とかする。こんな感じでやったのが最初ですね。
作ることだけが目的ではない体験農園

- 起業から 13年経ったいま、体験農園・学校・小売の3つの柱ができていらっしゃいますよね。体験農園マイファームは年間どれくらいの方が利用されてるんですか?
-
全国126箇所で、週末になると3,000組ほどの親子が来られています。
- 西辻さんは、体験農園ではどのような体験をしてもらいたいと思っていらっしゃいますか?
-
農業体験でよくある、いちご狩りとか梨狩りとかって収穫場面の1回だけなんですよね。僕がみんなにすごく見てほしいな、って思うのは「ゼロから100になる姿」なんです。だからうちの農園では、少なくとも作物の種を撒いて収穫して自分たちで食べるまでを味わえるようなプログラム構成を心がけてますね。一部だけをみてもしょうがないと思ってますから。それは、さっき僕が子供の頃に感じた「ホントはずっと向き合ってれば一番美味しい野菜ができるんだ」という考えに基づいています。
最近は、単発じゃなくて僕らみたいに長期的に農業体験をする会社さんも増えてきましたけど、そういう会社さんと比べても、うちが一番作物が「できない」んですよ。なぜかというと、他の会社さんは、お客様が居ない間、代わりに世話をしてくれるんですね。でもウチは、アドバイザーの先生たちに「絶対にそのお客さんの作物に触れないでください」と約束してもらうんです。そうしないと頑張ってるひとも頑張ってないひとも、同じように収穫できちゃう。
僕は愛せば愛すほど良い野菜ができるって言いましたけど、愛するってことは、気にかけて、場所に行って、作物と接することで、その機会が減れば減るほど野菜は応えてくれなくなる。そういうことに気づいてほしいから「絶対に手は加えないでくれ、その代り、アドバイザーさんはお客様に畑がどういう状況なのかをずっと伝えてください」とお願いします。お客様が来れない間、例えばトマトがどんな思いをしてるのか、写真なり電話なりメールなりで伝え続けてください、と。そのうえで、そのお客様が「今ほんとに忙しくて申し訳ないんだけど水やってくれ」と言われたら、その時は手伝います。その指示がなかったら作物は触らない。だから、「野菜ができないです」というクレームをよくいただくんですけども(笑)。

- 野菜をつくることが目的ではなく、その裏側も全部理解してもらうことこそが、マイファームの目的なんですね。
-
そう、そうなんです。野菜を作って食べることじゃなくて、野菜に対して気づきを得てそれを自分の知識として蓄えて、それを他のところで使うっていう、それが目的なんです。
日本が目指すべき農業へのヒント

- 「野菜と向き合うこと」を大切にしている西辻さんからみて、食料危機に対して人工知能で生産性を向上させようとする動きについて、どう思われますか?
-
かなりいい質問です。大人と一緒のレベルの質問だと思いますよ。
そこを考えるときは世界を見渡してみないといけなくて。世界の人口は2050年に100億人になりそうです。でもいまのやり方だと、地球で野菜を100億人分作れるかというとちょっとわかりません。だから、生産性を上げてもっと作らなければいけませんよね、という考え方がひとつあります。
また違う考え方をすると、毎年8億人の人が飢餓で苦しんでるんですけど、日本では年間に5,200万人分の食料が棄てられてるんですよね。なので、食べ残しをやめるっていうことも、食料を確保する大きな一つの手段になりますね。
でも更に別の角度で考えてみると、食べ過ぎ問題というのがあるんです。なぜか人間、お金を持つとカロリーが高いものを食べたくなっちゃう。でも実はカロリーとりすぎ問題っていうのがあって、世界のカロリーバランスを直さないと、生活習慣病にかかったり早死にする人が増えちゃいますよ、というものです。
だから食料を増やすこと、食べ残しをしないこと、バランスをきちんと保つことが、食料危機を救う方法です。なので、AIが生産性に関わることは、僕は大事だと思っています。

- バランスの一つとして、人工知能の活用は必要ということですね。
-
そうですね。生産性の向上をシンプルに追求したら、植物工場でロボットが植えて自動で栽培することになる。そうすると、農業に携わる人が居なくなりますよね。あくまで僕の世界観ですけど、そういう世界は殺伐としたものになるはずなんですよ。土になんか誰も触れない。野菜がどうやって出来てるかなんて誰も知らない。でもスーパーには、野菜と言われる物質が並んでいる、そういう状態になるんです。
そうすると僕たちがどうなるかというと、必ず、土に触りたくなるはずなんですよ。動物だから。絶対、土に触りたい。絶対、野菜をゼロから作ってみたい。種が大きくなる瞬間を見てみたい。そういう本能的な欲求に駆られるはずなんですよ。そしてその欲求に駆られた時に、それを受け入れる農場というのは必要だと思ってるんですよ。
なので、これから世の中は、生産性を重視する農業と、人々が触れ合う農業に二分化していくと思っています。そして日本という国をみると、世界の中でも「触れ合える畑」を多く持つ場所なんですよね。なぜかというと、今でも既に触れ合いたい人たちが多くいるわけですし、農家さんたちも人とまろやかにと接し合おうとしてるから。なので、日本が担っていくのは「触れ合う農業」ではないかと考えています。
その前提で、日本国内でも農地やエリアごとに、生産量を増やすのか、もしくは付加価値をつけてくのかっていうことが大事になってくる。例えば静岡県は、豊橋から田原・浜松・静岡、この辺りは日照量も多いし、生産するフィールドとして適してます。だから国内の需要を満たすための農場が多くなる。一方で浜松のような大きい街の近くでは、楽しむ農場が増えてくる。街の中心の付近は楽しむ農場、その外側には生産の農場、そういう田園都市構想みたいな形になって、どちらかが淘汰されるようなことは絶対にないな、と考えています。
社会からの要請がモチベーション

- 体験農園の参加人数(各週末3,000組ほど)を考えると、時代的にも人間の本能的にも「触れ合える畑」の需要は高まっているんですね。それでは日本の特色を活かした農業を目指していく中で、現在の課題について教えてください。
-
課題の前に、希望の話からさせてください。最近、皆さんのような若い人たちが農業業界に積極的に入ってくるんですよ。だから、業界全体が希望に満ち溢れていますね。それは素晴らしいことだと思います。ただ、10,000人の希望も最後まで続くのは1人かもしれないから慢心はできないですけれど、そもそも希望者が集まってこなかった業界ですから(笑)。そういう意味で、未来はとても明るいんじゃないかと思っています。
その中で課題は、僕のときみたいな「農地が見つからない」だけじゃなくて、気候変動である日突然栽培ができなくなるとか、台風大雨洪水で作物が育ちにくくなるとか…自然との対話産業なのでそのリスクを排除するのはなかなか難しいんですよ。僕たちは恩恵を受けてるわけですから。
あと、IT業界などは何もないところに新しい取り組みができる、未踏の場所にトライすることができますよね。農業の場合は、脈々と受け継がれてきたカチコチに固まっていることろ、例えば既存の組織や法律、昔からそこで頑張ってる人がいるとか、そういうことで進みにくさがあることは事実で、課題です。
- 西辻さん個人の最終目標は「農家になる」ですか?
-
「農家になる」です。でも今だったら、すごい作物を作る農家っていうよりも、誰もが遊びに来たくなったり、野菜や自然のことを愛せるような農場を運営をしたいなと思っています。それで、今でも社長を交代してくれるなら誰かやってほしい、と思ってるくらいで(笑)。いまウチの会社で「次の西辻を育てようプロジェクト」があるんです。僕は早く農家になりたいから。
でも、なんでそんな僕が今ここにいるのか、僕のモチベーションとか原動力って何かというと、社会の声ですよね。「マイファームもっとがんばってよ」とか「西辻さんが頑張ってくれると農業の未来が明るくなるんですよ」とか、時には自然側から「西辻いつも頑張ってくれてありがとう」っていう神の声みたいなものが聞こえてくると、僕の熱量は上がってくる。自分の中にある魂を熱く燃えたぎらせるんじゃなくて、周りからの、社会からの要請に応えて熱を増幅させてく。経営者の中ではちょっと変わってるかも知れないけれども、そんな感じでやっています。
- 「誰もが遊びに来たくなったり、野菜や自然のことを愛せるような農場」って素敵です。西辻さんから学ばせていただいたことを、静岡聖光学院の農園「キャキャロット」に活かしていきたいと思います。本日はありがとうございました。

編集後記_学校農園部活生
「あなたは野菜を愛していますか」
西辻社長から頂いたこの問いは、野菜以外の分野においても当てはまることだと思います。自分が携わるものを愛しているかどうか、それを深く考えることは挑戦の成功に直接結びつくものと感じました。このインタビューを通して西辻社長はとても芯が強く、社会を変える企業の社長に必要なものが何かわかった気がしました。そして、日本でやりたいことを実現する方法を示してくれるお手本のような人だと思っています。“何か”を始めるということは、その“何か“に真正面から向き合い、その“何か”を知り、そして愛さないと始まらないこと。さらに自分一人だけでは何も始まらないということを学ばせていただきました。
- 取材日
- 2019/07/10
- 取材
- 学校農園部活生(静岡聖光学院)
- 取材サポート
- 小森雄斗(静岡聖光学院・教員)