
新しいコーヒー文化を創り、 よりサステイナブルな世界へ
- 取材
- 古杉航太郎(静岡聖光学院・高校3年生)
- 取材サポート
- 伊藤哲大(静岡聖光学院・教員)
「コーヒーハンター」。いつしか人は川島良彰のことをそう呼ぶようになった。一年の半分はコーヒーを求めて世界中を駆け回る生活を送りながらも、コーヒー業界で新しい取り組みを仕掛けていく。その真っ直ぐな情熱と行動力に溢れた姿に人々は惹かれるようだ。静岡のコーヒー焙煎卸業の長男に生まれた彼は、幼い頃からコーヒーの魅力に取り憑かれ、静岡聖光学院卒業と同時に18歳で単身・コーヒー原産国エルサルバドルへ。国立コーヒー研究所では研究に没頭し、UCC上島珈琲ではブルーマウンテン農園立ち上げや幻のコーヒー「ブルボン・ポワントゥ」を復活させる。コーヒーの素晴らしさと業界の問題点の両方を目の当たりした彼は、2008年にミカフェートを創業。いま彼が目指しているのは「新しいコーヒー文化を創る」こと。本インタビュー記事では、コーヒーに懸けてきた彼の軌跡ともに、文化を創るという意味に迫る。
川島良彰(かわしまよしあき)
株式会社ミカフェート・代表取締役社長
1956年、静岡県出身。静岡聖光学を一期生として卒業後、18歳で単身エル・サルバドル国立コーヒー研究所に留学。レユニオン島では幻のコーヒーと言われる「ブルボン・ポワントゥ」を復活させる。「新しいコーヒー文化を創る」ことを理念に掲げ、2008年、株式会社ミカフェートを設立。コーヒー産業を持続可能な業態に変容し、ワインやシャンパンのようにコーヒーを楽しむ文化をつくるべく日々精力的に活動している。ほかタイ王室メーファールアン財団コーヒーアドバイザリー等を務める。
18歳の目に映った中米エルサルバドル

- 今回は記念すべき記事の第一弾ということで、静岡聖光学院第一期卒業生の川島さんに母校で取材させていただく流れになったわけですが、久々の聖光学院はいかがですか?
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ハード面はだいぶ変わりましたよね。いま高校がある場所は全部寮だったし、運動場も半分しかできてなかったし。図書館や体育館はまだ無かったですからね。
だたソフトの面は昔の雰囲気が残ってる気がします。アットホームな感じがね。なんだか聖光生ってみんな繋がってる感じがあるんですよ。世代が全然違うOB同士がみんな仲がいいし。僕がロスに行けば、カリフォルニアにいるOBたちが集まってくれたりするんですよ。学生時代が重なってない若い人も一緒に。
- なるほど、それはすごい繋がりですね。川島さんは、そんな居心地の良いアットホームな静岡聖光学院そして静岡を高校卒業と同時に離れて、エルサルバドルに行かれてますが、その当時のことを聞かせていただけますか?
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ぼくは18歳まで静岡に育って。静岡ってほんといいとこなんですよね。空気はいいし、気候もいいし。風光明媚で食べ物は美味しいし。
そういうところからいきなり地球の反対側のエルサルバドルに行って、強烈な貧富の差があるなかで暮らしはじめた。僕は幸い、専属の女中さんがいるような資産家階級の家にホームステイしてたんですけど一歩街に出れば平気で人身売買が行われているし、内戦まで起こった。
18歳であの世界を知ったのは僕にとってやっぱり強烈な体験でした。
泥沼の内戦で友達を失って、光がみえない中でもみんな頑張って生きている姿を目の当たりにしたとき、本当に人間の強さっていうのを感じたし、反対に自分の弱さをすごく感じましたよね。
- 自分の弱さですか?高校生卒業と同時に、馴染みのないエルサルバドルに単身で行くってすごく強く感じるんですけど…(汗)
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うん。根本的な生きる力の無さを思い知ったね。僕1週間コーヒー農園に泊まり込んで収穫労働者と一緒に生活したんですけど、収穫労働者って歩合制なんですよ。だから喉が渇いても水場に移動する時間も惜しい。給料が減るからね。じゃどうするかって言うとスルスルっとヤシの木に登ってヤシの実を取って割って、中の水を飲む。あれを見た時に、強烈に生きる強さを感じたんですよ。この人達には「生きる」って言う点で僕は絶対に負けてしまうと思った。
読み書きができなくても、生きることに関しては、僕より10倍才能がある。
僕なら死んでる場面でも、きっと彼らは生き残るだろうっていう力強さを知ったことが、その後いろんなことがあっても、何とかなるっていうエネルギーになりましたよね。その体験と、僕の身元引受人になってくださったエルサルバドル駐日大使ベネケ氏から教わった、ストリートスマート「生きることに賢くなれ」っていう言葉。その2つは今でも常に自分のモチベーションになってます。
自分の人生は自分で決める

- 川島さんの「生きる」中心には必ず「コーヒー」がありますよね。小学生の頃には原産国に行くと決めてたそうですが、他の夢をもったことはありますか?
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無いですね。自分はもう絶対コーヒー屋になると思ってましたから。父親の焙煎している姿をかっこいいなと思って見てたし、何よりコーヒーが好きでしたからね。小学生の時に、やるんだったら産地まで行って、もっと川上を見てから家業を継いでもいいんじゃないかな、と思ってましたね。
- 高校3年生で留学を決めたんですよね?静岡聖光学院は進学校ですが、他の生徒が大学進学に向かって必死に勉強してるっていう時はどういう心境でしたか?
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友達からは『お前はいいよな、勉強しなくていいから』っていうのはありましたね(笑)。でも僕の人生だしね。何を言われても、やっと念願の、自分の夢見ていた中南米に行けるっていう嬉しさが勝ってましたね。
- 当時の先生方の反応はどうでしたか?
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賛否両論でしたよ。ただ、反対意見が多い中で『大学だけが全てじゃない、本当に自分のやりたいことをやりなさい』『自分の好きなことをやって、本当に自分の好きな道を行くべきだ』ってグッと後押ししてくださった先生がいましたね。
- なるほど、それは心強いですね。コーヒー留学への決意を感じるエピソードが「エルサルバトル国立コーヒー研究所の所長室の前で1ヶ月間毎日座り込み座り込み」ですが、これはすごいですね。
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(笑)最後には所長が根負けしてドアを開けてくれましたからね。ただ一旦扉が開いたら、英才教育を施してくれましたよ。専任の博士がついて全学科を3ヶ月タームで学ばせてくれて。今思うとよくあんなことしてくれたなと思うくらい。
- 1ヶ月間、ずっと自分を後押ししていたものって何だったのですか?
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やっとここまで来たのに諦めて帰れるものか、の一心ですよ。今でもそうですよ。諦めない、諦めることは絶対しないって信条にしてますから。
信じたのは「頂点からはじめる」こと

- その信条が生きた人生のタイミングとしては、どの局面が思い出されますか?
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会社を立ち上げて、いざコーヒーを発売しようとした1ヶ月前にリーマンショックが起きたときですね。日本中が一気に買い控えになった最悪のタイミングです。僕はコーヒーの”ピラミッドの頂点”から始めようとしてたから、あんな高いコーヒー誰も買わないんですよ。
2年間、僕、無給でしたよ。全く売れなくていつ潰れるかもわかんなかった。その時もみんな言うんですよ。値段を下げろとか、品質を下げてもっと安く売れとか。でもそれをやったら僕のコンセプトは全部壊れてしまう。絶対に諦めない、絶対いつか分かる人が出てきてくれるって信念をもってやり続けて、やっぱり良かったなと思ってます。
- 2年間も無給・・・(汗)。何がきっかけで、暗黒時代から浮上したんですか?
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聖光の後輩で成功した人がいて、富裕層しか行けないような、とても高級なワインスクールのメンバーを連れてきてくれたんですよ。そこで僕のコーヒーを「これはワインと同じだ」って絶賛してくれた方をきっかけに、ほかのメンバーがどんどんお客さんになってくれた。
- “ワイン好き”というのは意外ですね。
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うん、僕は最初に「真のコーヒー好き」がお客さんになると思ってたんですけどね。最初はワイン好きの人たちに広まった。それで次に来てくれたのがシガー、葉巻の愛好家たちです。嗜好品をわかる人たちが、僕のコーヒーを認めてくれた。これはすごく大きかったなと思いますよ。僕が望んだとおり、品質に然るべき対価を払うことが当然だっていう価値観の人たちが認めてくれたんですから。
そこからJAL日本航空が機内のコーヒーを美味しくしたい、と僕のところに来てくれて、名だたる企業がオフィスコーヒーに採用してくれて。でも発端はやっぱり後輩がワインスクールの人たちを連れてきてくれたところからですね。
ただなぁ、ほんとにその2年間は苦しかった(笑)。支えてくれた嫁さんに感謝ですよ。
- 「コーヒーの”ピラミッドの頂点”から始める」について、詳しく教えていただけますか?
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今のコーヒー業界って言葉遊びの世界なんですよ。「最高級」だらけでしょ?全部最高級だなんてあるわけないじゃない。もし最高級だったらどうして缶コーヒーが120円で売れるの?って話ですよ(笑)。

- 最高級が120円・・・安いですね。
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コーヒー豆の値段って国際相場で決まるんですよね。でも相場だから、上がったり下がったりして生産者はものすごく振り回される。国際相場が暴落したら、冗談じゃなく生産者は一家離散なんですよ。でもね、例えばワインは「今年は作柄が良かった。でも生産量は少ない。だから今年のワインは高いです」ってクオリティで価格が決まるわけでしょ?コーヒーもそういう風に、品質に対してお金を支払う市場をつくらないと絶対に破綻するんですよ。
- 逆にコーヒーの品質に対してお金が支払われてなかったことにびっくりです。このまま続いたら生産者の方たちは生活できないじゃないですか。
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コーヒー産業って世界で一番就業人口が多いんです。1億人以上の人間がコーヒー産業で働いている。その人達が職を失い家族を失うと、世界も破綻しますよ。でも逆にね、コーヒー産業がサスティナブル、持続可能な状態になれば、世界もサスティナブルになるんじゃないか、そういう思いでこの会社を作ったんですよ。
だから「最高級」には最高級にふさわしい価格をつける。それだけの価値がある品質なんだから。って志はめちゃくちゃ高かったんだけど、実際問題売れなきゃしょうがないわけだから参りましたよ(笑)。
「特別な日の特別なコーヒー」という文化

- お話を聞いていると、18歳のときに抱いていた「コーヒー屋になる」という内向的な夢と動機で経験を積んでいくうちに、「コーヒーを通じて社会に対して何ができるのか」という外向的な視点へ変化していますね。
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うん、そうだね。高校3年の時はやっぱり産地に行って産地で勉強してその後マーケティングみたいなことを勉強して静岡に戻って実家を継いで、恥ずかしくない二代目になることが希望だったわけだけど、いまは、やっぱりコーヒーの世界を変えなければ、という大きな志を持っていて。そうしなければ生産者がやっていけなくなるし、我々がこのままでは美味しいコーヒーを飲み続けられなくなってしまう。それを止めなければいけない、というような気持ちで仕事してます。
- 先日、銀座シックスの「グラン・クリュ・カフェ・ギンザ」の前を通ったのですが、高級感溢れる素敵なカフェですね。
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あれはすごいスノッビーな店で、ちょっと傲慢ちきというか。ワインの世界って「今日は特別な日だから、今日は恋人の誕生日だから、ちょっといいワインを開けて、いいレストランに行こう」っていうのあるでしょ?学生だからまだ飲んじゃダメだけど(笑)。
でもコーヒーってそういうのないでしょ?だからコーヒーでそういう文化を創りたかったんですよ。特別な時に飲むコーヒー。
- 文化を創る・・・素敵です。
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コーヒーにも、ワインで言うロマネ・コンティの世界があるって知らしめたかった。だから敢えてああいう店の設えにして、めちゃくちゃ高い、いわゆる銀座じゃないとやっていけない店にしたわけですよね。
- なるほど。戦略的に考えられたお店だったんですね。
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そう、そしたらオープンして3ヶ月目くらいかな、若い25、6歳の女性が入ってきたんです。普通のOLっぽい子ですよ。でも一本2万円のボトルを開けて飲んでた。やっぱり気になって「あの、どちらからいらしたんですか?」って話していくうちに「実は仕事がすごく上手くいって、自分のご褒美は何かなって考えてみたら、ここでコーヒーを飲むことだ!って思い至って。大枚はたいてコーヒー飲みに来ました」って言ってくれて。そういう使い方をしてもらえたのがすごく嬉しかったです。
別にお金持ちのために作ったコーヒーショップじゃないんですよ、あの店は。特別な日に飲んでほしいコーヒーがある場所なんだよね。そういう、今までと全く違う文化を創ろうと思ってるんです。
- 2万円・・・僕らも頑張って…。
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おいでおいで(笑)。
世界と対等に仕事をするために

- 川島さんはお仕事で世界中を飛び回ってますが、年間どれくらい海外にいらっしゃるんですか?
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だいたい150日間くらいは海外にいますね。今年はグアテマラ、エルサルバドル、コスタリカ、ホンジュラス、それからハワイとタイに行ったかな。
来週はボストン、大西洋を越えてルワンダへ。5月はグアテマラ、エルサルバドル、パナマ、で6月はまたタイに行って6月後半にコロンビア、7月後半からペルーとブラジルに行って9月はタンザニア・・・。あと11月にコロンビアとルワンダに行くのは決まってます(笑)。
- (絶句)もう頭ごちゃごちゃになりそうですね。世界中で仕事することを目指してる学生にアドバイスありますか?
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エルサルバドルの研究所に入って、ようやく念願のコーヒーの勉強ができるって時につくづく思ったのが「やっぱり真面目に授業受けとけば良かった」だね。
何故かと言うと、例えば英語をもっときちっとやってたら、スペイン語を覚えるのも、もっと早かったんですよ。文法は違うけど似てる単語もあるし。生物も数学も、無駄になる勉強は無いって痛感した。だから聖光の先生に手紙を書いて、高校の教科書全部送ってもらってもう一回勉強し直してさ。ツールや手段は多く持っていることに越したこと無いからさ。これからは英語以外にプラス何を喋れますかって時代だからね。僕は英語とスペイン語が喋れるけど、もしフランス語も喋れたら僕のコーヒーワールドはもっと広がってたと思うんだよね。
- たしかに、手段が多ければ多いほど、目標に近づくスピードも速くなりますよね。
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あと、これは学生に限ったことじゃないけど、日本人ってもうちょっと理不尽に耐えられなきゃダメだなって。日本はいま、無責任に言いたいことを言える国になっちゃった気がするけど、文句言ったってどうしょうもないことのほうが多いくらいなんだから。まして海外なんて日本の常識は通じない。理不尽なことが起きたら、それを飲み込んで越えてかないと。そういう人に学生はなってほしいね。逞しい学生に。
- 大学進学は通過点で、その先にある自分がやりたいことを見据えて勉強することが重要なんですね。
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世界中にコーヒーを探しに行くとき、どういうふうにやるかって言うと、まず歴史からなんだよね。ヨーロッパ列強の東インド会社とキリスト教が世界にコーヒーを広めてったから。16、17、18世紀くらいのヨーロッパの歴史を勉強すると、どんどんコーヒーに繋がっていく。列強がどうやってアジア・アフリカを侵略していったか、そしてコーヒーは必ずそれに付いていくから。
- スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学卒業式スピーチで話していましたが、振り返ると「点が繋がる・点を繋げていく」ですね。
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うん。やっぱり無駄になる勉強は無いってこと。自分のツール、手段を増やしてほしい。あとはストリートスマート。この学校は勉強も生きる賢さも、両方学べる自由な風土があるからさ。いまここにいるみんなには、ぜひその両方を身につけてほしいよね。
- 最後に、最近発表された川島さんの新しい取り組みについて教えてください。
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僕の仕事は、最高級のコーヒーを作るだけじゃなくて、すべてのコーヒーをおいしくすることなんだよね。高地の恵まれた環境のコーヒー生産者は、品質の高いコーヒーを作ることが可能だけど、山の中腹や裾野では、どんなに頑張ってもコモディティ(一般流通品)しかできない。だから、そのコモディティの生産者達に「どうすれば少しでも美味しくなるか」「どうすれば特徴を出せて市場で売りやすいコーヒーを作れるか」というところから指導してる。
僕はサントリーのアドバイザーを7年前からやっているんだけど、そのコモディティの豆を使った挑戦として、2018年の始めからはRTDコーヒー(Ready To Drinkの略で、缶やペットボトルに入ったそのまま飲めるコーヒー飲料)に革命を起こそうと、これまでにないおいしい製品作りに取り組んできたんだよね。原料の調達から輸送・保管に関しては、品質のために最高の手段を選んで、さらにコーヒー本来の香りを楽しめるように無香料にもこだわった。
その結果、つい先日、これまでのRTDコーヒーの常識を打ち破る製品の発売までたどり着いた。 「 PREMIUM BOSS COFFEE HUNTER’S SELECTION 」というボトルコーヒーなんだけど、発売開始以来、とても高い評価をいただいてて、しかも750mlで300円以下の価格を実現できたんですね。
これからもコーヒー産業全体が、サステイナブルになるように頑張ります。
- 身近な生活の中に川島さんの成果を体験できる機会ができてとても嬉しいです。一般流通品の質を高めることで、僕たちの生活だけでなく生産者の生活も向上する素晴らしい取り組みだと思います。僕たちも、自分たちに何ができるのか?ということを考えて、行動していきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

編集後記_古杉航太郎
私が川島良彰さんにインタビューをさせて頂き感じたことは、「飽くなき好奇心」と「探求心の尊さ」です。川島さんは常にわからないことや興味のあること、知りたいことをそのままにせず、なぜこうなっているのか、どうしたらそうなるのかをとことん突き詰めていく姿勢をこれまで送ってこられた人生で体現されています。この姿勢は静岡聖光学院で過ごした学生時代にルーツがあるとおっしゃっていました。学問を学ぶ、勉強をすることに対してもただ単に知識を頭に詰め込む受動的な姿勢でいるのではなく、自ら学び、感じ取り、理解を深めることで本当の学びを得ることが出来るのではないか、と川島さんのお話を聞いて感じました。様々な物事に多感な時期である中学・高校時代の今だからこそ、何にでも好奇心と探求心をもって接することが大切だと思います。
- 取材日
- 2019/04/05
- 取材
- 古杉航太郎(静岡聖光学院・高校3年生)
- 取材サポート
- 伊藤哲大(静岡聖光学院・教員)